「僕たちはいつもと同じように遊ぶだろう」
パリの同時多発テロから10日が経った。
妻を射殺されたアントワーヌ・レリスさんがFacebookに公開した手紙が注目を集めている。朝日新聞の一面にも、掲載されていた。たしかNHKでもやっていた。
その中で私が最も胸を突かれたのは、「僕たちはいつもと同じように遊ぶだろう」という一節だ。
いつもと同じように遊ぶ。安全のため、とかフランスの団結のため、とかいって日常の楽しみを放棄しない。
いつもと同じように遊ぶ…
一方、このような「国家レベルでの悲劇」が起こった時には、無関係に生きて遊ぶ人に対して「不謹慎だ」という批判が飛ぶ。テロリストに隙を見せるな、とかそういう論理ではなく、遊ぶことは死んだ人(や苦しんでいる人)に失礼だという空気が作られるのだ。
現に東日本大震災のあとに、日本はそうなった。「自粛」というよくわからない現象が続いた。
アントワーヌさんが同様の非難を受けているかは知らない。でも、私は彼の言うことが正しいと思う。
普通の人が公園を歩き、外でおいしいものを食べて、お酒を飲み、音楽や映画や本を楽しむ。それこそが、それだけが、暴力に対する有効な抵抗であると思う。そういうことが禁じられるなら、生きている意味はないとさえ思う。
私はもし日本で大規模なテロが起こっても戒厳令みたいなものの下で生きていくのは勘弁してほしい。と思った次第です。
ウィリアム・サローヤンの「パパ・ユーア・クレイジー」を思い出しました。父と息子が二人で、とてもシンプルに「生きていく」ことを描いた小説です。二人は、毎日遊びます。気になる人は、読んで下さい。
今日はここまで。