素直さなんてクソくらえ
素直じゃない、と母親によく言われる。
そうだな、とまず思う。私は素直ではない。
それで素直になりたいか、と聞かれれば、なりたくない、と答えるだろう。素直になるのは金をもらってもご免だ。素直な人は、バカに見える。申し訳ないとは思うが、母親もときどき愚かに見える。
素直さゆえの純粋さを武器に、他人をやりこめられると思っている。しかしそんなことは、絶対にできない。
私はそういう人が苦手だ。「なんで心をひとつにしてやらないの」とか「感動を共有しよう」とか言う人が苦手だ。
素直な人は、「他人」という言葉の意味を知らない。
「素直じゃない」とはどういうことか。
ともかく一つは、「先生」「先輩」と名のつくものが苦手だということだ。中学、高校では、これのせいでずいぶん損をした。周りの人の「素直さ」が信じられなかった。ただただ気持ち悪かった。例えば?自分をさんざんパシった先輩の卒業に、涙を流すようなこと。場を盛り上げるためだけに、セクハラ一歩手前の冗談をとばす先生に笑顔を見せるようなこと。
私はさぞ「心を閉ざした暗い奴」に見えたことだろう。そして、それは事実だったのだが。一生の幸福と引き換えでも、「心を開いた明るい奴」になどなる気はなかった。理屈などない。ただの意地である。そしてカモフラージュを一枚はげば、私の性格は、当時から全く変わっていない。
巷で言われる「就活の気持ち悪さ」も、その根源は素直さの過剰にあるんでない?心を100%さらけだせ、と迫られるような…
だから、全国のひねくれ者のみなさん。ぜひ、そのひねくれを貫き通そうではありませんか。素直さなんて、クソくらえ。なんであれ多くの人がで盛り上がっていることには、ひっそりとNO!を唱えてやりましょう。生きづらくならない程度に小さな声で。自分にだけ聞こえる声で。
↑こういう本のタイトルを見た瞬間に心の中で反発してしまうあなたは、有望なひねくれ者です。