日刊ひねくれ通信

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中吊りの「雨ニモ負ケズ」

電車の中吊り広告(あれなんの広告?確かKindleの古典読み上げサービスか何か)に、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」が使われているのを見ました。

なぜかぐっと来て、「宮沢賢治って、偉い人だったんだな…」という当たり前すぎることを再確認してしまいました。

小学生の頃、国語で「雨ニモ負ケズ」を暗唱しなければならなかったことを思い出します。そのときは、「つまらない、偽善的なことばっか言って」とか「ほめられもせず、ってなんだよほめられたいと思っちゃいけないの?」とか思っていました。

でもこの歳になって、「ほめられないことを目指す」ことがどんなに非凡で、偉大なことであるか少しわかってきました。「ほめられることを目指さないけど、ほめられたら結果オーライ」ではありません。「ほめられないことを目指す」のです。だからって、「ほめられないことをわざわざする」のでもない。とても難しい。

まあ、宮沢賢治自身は地元の人々に好かれ、尊敬されていたわけですが。彼自身には、そのことについて苦々しい思いがあったのかもしれません。

大体、「おれは聖人君子じゃない」という思いがなければ「聖人君子とはこういうもので、こうなりたい」とは書き残さないんじゃないでしょうか。

そんなことを考えた車内でした。

私は宮沢賢治の童話がかなり好きで、マイナーだけどもっと知られてもいいと思うのは「カイロ団長」とか。童話の登場人物/動物たちは聖人君子とはほど遠く、実によく笑い、よく怒る。だから楽しい。

今日はここまで。